NO WAR!


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DarkSide

もういい加減に
正義という言葉に
価値を見出すのは
やめにしようや!

NO VIOLENCE! NO PLUNDERING!
NO DISCRIMINATION!

自分の考えを受け入れない相手に対して
その考え方を批判するのではなく非難する行為は 日常においてしばしば見られることです

あるいはまた 自分の配偶者や子供 そして他人との関係において
『口で言ってわからない者には体でわからせるしかない』という考え方は
今も昔もきわめて一般的な考え方として受け入れられて来ました

私たちはそれが
相手の理解を得るための そして相手と協調するための説得ではなく
相手を黙らせ 自分の考えに服従させるための行為であることに
もうそろそろ気付くべきではないでしょうか?

ある国の国民の多くがそれを望めば
そしてその国が侵略戦争に必要かつ充分な戦力を保持していれば
民主主義国家は侵略戦争に踏み切ることが出来ます
民主主義は 決して理不尽な国家的侵略行為と無縁のものではないのです

『口で言ってわからない者には体でわからせるしかない』
という考え方が大多数の国民の意識を表しているなら
その国民の大多数は 国家指導者とメディアの煽動に簡単にのせられるでしょう
この時 正義や良識はその内容の正否ではなく数の優劣によって排除されるでしょう

一個人の段階においても 否 一個人の段階においてこそ
価値観や利害の違いは 徹底して対話によって調整し解決するという合意と姿勢がなければ
民主主義国家において
「正義は勝つ」という題目は題目のままで 決して成就することはありません
民主主義国家に
第二次世界大戦から人類が学んだものは
紛争の原因が国家の政治体制であれ 宗教であれ または実質的な利害であれ
武力行使に訴えることなく 対話によって調整されるべき とする認識でした
これがすなわち国連という理念であり機構でした

21世紀になってもまだ戦争はなくなりません
戦争はやむをえない必要悪などではなく ただの悪だという認識がないからです

問題の解決には 時には「力」も必要だと 大人たちがしたり顔で言う社会で
家庭でも 学校でも 実社会でも 最後には「力」こそがものをいうのだとする価値観のなかで
平和を理解する子供が育つはずもない
平和な世界など実現するはずもない

私たち一人一人が 私たちの生きる場所で それぞれに
意識を変えるべきで時なのではないでしょうか?

それがいかに正しく見えようとも
「力」によらなければそれを広めることが出来ないのならば
そして
納得させるのではなく 屈服させることで相手を従わせるしかないのならば
既にその価値観自体が正しくないことを知るべきなのではないでしょうか?

一方の正義のために他方を殺さねばならないなら
その正義は自家撞着をおこしているのではありませんか?
拠って立つ立場の違いで 如何様にも受け取り方が存在するようなものを
そしてそれを押し通すために何らかの犠牲を伴うようなものを正義とは呼べません

それが何であろうと
そのために誰かの命を奪わなければならないような独善的なもの 独りよがりなものに
唯一絶対の価値など 私たちは認めてはいけないのです

正義は

決して暴力を求めません

略奪することを求めません

差別することを求めません

いかなる理由に拠ろうとも その遂行のために暴力・略奪・差別を必要とするなら
それは正義ではない

それは堕落した価値観であり 
理性 つまり人間の敗北なのです



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